知識と経験は役に立つが罠もある

最近、仕事に必要な技術や必要事項を覚える早さについて少し考える機会がありました。

 

ソフトウェア開発に限定しての話になりますが、

例えば新しい技術を覚える早さに関して言えば
過去にどれだけ関連・類似する知識や経験などを蓄積しているかで、習得の早さが決まることが多いように感じています。

新しい技術と言っても、結局は過去の技術がベースになっていたり、考え方が似ていたりするので覚える部分は本当に新しい部分だけですし、覚えるにしても覚え方の要領を経験的に知っていたりします。

そういう点から、単純に知識・経験の量というのは圧倒的なアドバンテージであると考えています。

 

簡単な例を挙げると、

C言語を知っていればC++を覚えやすくC++を知っていればC#,Javaを覚えやすい、Rubyを知っていればPerl,JavaScript等々を覚えやすい、等々・・・。

 

大体の物には基本となる技術や仕組み、考え方等があり、それに基づいて組み上げられていることがほとんどだと思います。

経験を積み重ねれば積み重ねるほどこれらの知識が吸収されて理解が深まり、それが新しいことを覚えるための底力となる。

目に見えないものですが、
所謂ベテランと呼ばれる人達の強みはこの部分にあるのだと考えています。

 

しかしこの考え方には一つ罠があります。

確かに底力があるとすぐに新しいことを覚えられ、言ってしまえば楽なのですが、その楽さ故に誤った調査等の余計な回り道をしなくなる(する必要がなくなる)のも事実で、そのようになってしまうことを悪として捉えがちになります。

その回り道には、その過程で得られる予備知識や経験が少なからずあるはずで、そこには新しい発見があったり得られた予備知識や経験が思わぬ所で役に立ったりすることがあります。

 

これは私の場合の話ですが、

そのような新鮮な体験をすることがいつの間にか少なくなっていて、気が付いたら心のどこかで新しいものを受け入れることを面倒くさがって拒絶する気持ちが芽生えてしまっていたことがあり、思わずハッとしました。

 

少しでも楽ができるようになるのは必ずしも悪いことではないとは思いますが、行き過ぎた怠惰で身を滅ぼさないよう気を付けたいところです。

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